歴 史
1950年、戦後郷土復興の一助として新垣善助(あらかきぜんすけ)が名護町名護(現在の名護市大中)で新垣材木店を創業しました。
その当時は、島内材や軍払い下げ材を主に販売し材木を仕入れてきたと同時に売り切れる、まさに生活を再スタートさせる為に住宅建築が多い時期でした。
また、建物の壁や塀等にブロックが使用されるようになりブロック工場も開設しました。このころは朝早くから夜遅くまで働き詰めの毎日でした。
地域行事である商工祭やハーリー大会等へ積極参加し地域貢献も果たしてきました。
道路工事等インフラ整備が本格的に始まるのにあわせ、昭和46年、名護市字宮里にブロック工場を移設、道路用コンクリート側溝を製造するようになりました。また、木工所・製材所を設置し木製建具や窓枠作りもスタート、学校校舎の窓枠製作も請負っていました。鉄筋の輸入販売、セメント販売を行うことで建築資材一切の専門店として地域に根ざしてきました。
住宅の構造に使用する木材をシロアリから守るため防虫処理も始めJAS認定を取得。道路用コンクリート製品はJIS規格を取得し品質への信頼を高めるよう取組んできました。
昭和58年に沖縄県知事から建設業の許可を得て、本格的に住宅建築事業をスタート。また、土地を求められる方にお応えできるよう宅建業許可を取得しました。
ピーク時には職員が100名を越えた事もありました。
平成元年、株式会社へ組織変更するに当り建設部門を株式会社アラカキ建設へ分離独立させ建設事業者様向け専門工事、資材販売に特化する方向へ進みました。
より多くのお客様へ
名桜大学開学をきっかけにアパート等賃貸物件の仲介管理業務を強化し、住宅ニーズの多様性に応えるようリフォーム工事も本格的に始める等、よりお客様の声にお応えできるように取り組みました。
平成23年11月、本社を名護市為又に移転。これまでコンクリート住宅を主体に工事を請負っていましたが、創業が材木店からという強みを活かし
木造住宅へ着目。引き渡しと同時に住むことができる、設備やカーテン等すべて込みの「充実の家」を企画・完成させ、家づくりのお手伝いを本格的にスタートしました。為又ヒルズ24区画の分譲をはじめ、建売や建築条件付き分譲等も手がけています。
職員が明るくにぎやかなのが特徴です
以前はさくら祭パレードへ参加、ハーリー大会等は上位入賞常連チームでもありました。
最近では名護市商工会運動会等地域イベントへ積極的に参加するだけでなく、健康管理のための健康診断以外に体力測定会を実施し親睦会等も活発に行うことで職員間の絆を深めております。そのほか、誕生日休暇制度や子連れ出勤規定の導入等働きやすい環境を整備する事に努めています。